えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
そうそう、そうなんだよね、梶井。わたしも同じなんだよね。
もちろん、わたしは梶井のような重い病にかかってないし、彼ほど切羽詰まった状況ではないはずだけど、小説を読むという密かな行為の間だけは、勝手に同意しようが、何かを告白しようが、誰もわたしを咎めない。
以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音機を聞かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上ってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
そう、わたしも、浮浪とはいわないまでも、よく街から街へ彷徨い歩く。目的もなく、だらだらと歩いていく。
大通りの裏の道を一本入れば現れる、低い屋根の木造の家が連なったような町が好きだ。車がようやく通れるくらいの細い道がくねくねと伸びていて、家と家の間の小さな道とも呼べない土のままのスペースに、子供の遊び道具が投げ出されたままになっている。側壁がくっつくくらい密に建てられた小さな古い家々は、個人の手で手入れされてきたならではの、丁寧さと乱雑が入り混じって、少しずつ個性的な崩れ方をしているのが見ていて飽きない。壁際には、大抵たくさんの植木鉢が並べられていて、植物が勝手気ままに伸びている。植物の勢いを制しようとか、種類を揃えようとかそういう気概を感じさせない雑多な光景ほど好き。
――などと告白するわたしに、そうそう、同じ、よく分かるよ、と今度は梶井の声がする。
何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他所他所しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転してあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚させるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
梶井の描写した景色は、いつもわたしが歩いている場所と変わらない。嬉しいよりもむしろ、ぞっとする。梶井が生きていた時代からもう何十年も経っているのに、わたしは同じ景色を同じように彷徨い歩いているなんて、気味が悪い。この町が、わたしに梶井と同じことをさせるのだろうか。それともわたしが、梶井と同じように、小説を書き続け、世間に認められないことに鬱々とした毎日を送っているからだろうか(才能の違いは置いておいて)。
梶井との共通点を見つけて以来、見すぼらしくて美しいものという言葉が頭から離れなくなった。見すぼらしくて、美しいもの。わたしは、どっちかというと、見すぼらしいものに属している。えたいの知れない不吉な塊に圧えつけられている。洗練された美しいものは、見すぼらしいわたしを受け入れてくれないし、人から見捨てられた見すぼらしいだけのものは、ますますわたしを落ち込ませる。都会にも田舎にもなりきれない京都には、あちこちにまだまだ、見すぼらしくて美しいものが、ひっそりと澱んでいる気がする。それは、わたしが好きな影と同じものかもしれない。影はわたしの塊と親しかったのかもしれない。
ある日わたしは、梶井が歩いたのと同じように丸太町から寺町通りを南に歩いていった。そして、「果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」と、かつて梶井に絶賛された店に辿り着いた。久しぶりに見た檸檬の展示は、一昔前の家族向けレストランの入り口のガラスケースに収まった安っぽい食品模型のようだった。檸檬は食べものでもなく、生命でもないような気がした。梶井が作り出した檸檬という思念が、そこで固形化され、展示されていた。
わたしは、長い時間、そこで熱心に檸檬を覗きこんでいたが、店番をしている白い髪の女性は、そんな客には慣れていると見えて気にも留めず、ぼんやりと外を眺め続けていた。
檸檬は愛想に塗れていた。積み上げたごちゃごちゃの色彩を吸収して、空気を塗り替えてしまうあの檸檬じゃない。
ここで檸檬を買い求めても、もう梶井のように気が晴れたりすることはないんだろう。わたしは、そのことを確認すると何だか安心した。
病に冒され、借金を背負い、酒に溺れ奇行を繰り返し、試験に落第し、世間から自分の文学を認められなかった梶井は見すぼらしかった。だけど、彼の生の結晶したこの小説は、かけがえのない美しい描写に満ちている。とりあえず生きてみるか、とわたしは思う。まずは、みすぼらしいだけだとしても。<了>
追記:八百卯は2009年の秋に閉店しました。
※引用――「檸檬」梶井基次郎(新潮文庫)
■檸檬
1952年初出。梶井基次郎の代表的な短編。憂鬱な気持が晴れないまま町を歩いていた私は、気まぐれに八百屋で檸檬を買い求める。不安や焦燥感を赤裸々に綴りながらも、日常のささやかな感動を印象深い文章で編み上げている随筆風の作品。
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