初出誌:「京の発言」第14号

(つづき: 第4回 京都の桜/「細雪」谷崎潤一郎)


 細雪の主な舞台は芦屋と大阪なのだけど、主人公たちは、花見だけは京都と決めていて、毎年春になると連れ立って行くのが恒例の行事になっている。

花は蘆屋の家の附近にもあるし、阪急電車の窓からでもいくらも眺められるので、京都に限ったことではないのだけれども、鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。

 しかも、決めているのは京都に行くということだけじゃない、コースまで毎年同じなのだ。

土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。(中略)彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、圓山公園の枝垂桜がすでに老い、年々に色褪せて行く今日では、まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。

 今は十一月。桜は咲いてないし、紅葉のシーズンにも少し早いけれど、せっかくなので谷崎が描写した庭がどれほどのものかと、わたしは恒例の現地取材に出かけていった。 これほど有名な庭なのに、入場料がいるわ、人が多いわ、ということで敬遠して、わたしはまだ一度も訪れたことがなかった。
 平安神宮の門をくぐると、白い石が敷き詰めてある広大な境内がある。庭は、その神宮の外周をぐるりと取り囲んでいる。
 
あの、神門をはいって大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、
「あー」
と、感歎の声を放った。


 確かに門を抜けた途端に、枝垂れ桜の枝が何本もあって、これらが一斉に咲いたら、本当に素晴らしいだろう、と想像する。「あー」なんて、間抜けな声も出るのも分かる。いつまでもここに立ち止まっていたいと思うかもしれない。
 姉妹たちは幸子の夫の貞之助に写真を撮ってもらいながら、広い庭園をそぞろ歩いていく。わたしも本を片手に、文章と看板を見比べながら、桜が咲いているつもりで庭を歩いていく。

 白虎池の菖蒲の生えた汀を行くところ、蒼流池の臥龍橋の石の上を、水面に影を落して渡るところ、栖鳳池の西側の小松山から通路へ枝をひろげている一際見事な花の下に並んだところ、




シーズンではない平日の夕暮れ時、ほかに歩いてる観光客は数名しかいない。桜は咲いていないが、広大な敷地にゆったりと広がる池は、鏡のように秋空を映していて、神苑という呼び名にふさわしい荘厳な景色だった。



 桜を愛でて、さらにこんな素晴らしい庭を堪能できるのなら、何度も来たくなるくらい思い出に残る花見になるだろう。ただし、人で混雑していなければ。 あとから詳しい人に訊いてみれば、桜の季節には、この庭園の入場券を買うために、入口から長蛇の列になるのだという。春の京都は本当に人が多い。だから、わたしは花見といえば、家の近所の鴨川と医学部の構内を平日の昼間に歩きながら眺めるだけで済ましていた。それなのに、わざわざ芦屋から毎年やってくる姉妹たちは、京都というベタな場所を選び、同じコースをなぞるだけではなく、さらに動作まで同じことをくり返す。

彼女たちは、前の年にはどこでどんなことをしたかをよく覚えていて、ごくつまらない些細なことでも、その場所へ来ると思い出してはその通りにした。たとえば栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり、楼閣の橋の欄干から緋鯉に麩を投げてやったりなど。 


 一年に一度、決められた手順を守って再生される「特別なくり返し」。そんな非日常的なくり返しをすることによって、すり減らされ忘れていた記憶がよみがえるのかもしれない。その行為は、流れていく大きな大河のような日常に、楔を打っていくような作業かもしれない。

 彼女たちは、自分の生まれ育った土地を愛し、慣れ親しんだ生活をいつくしみ、家を大切にして生きている。関西から離れるというだけで、さめざめと泣く三女雪子や、家の格式を重視して雪子の見合い相手に難癖つける長女夫妻や、定番のものを愛し、俗っぽい楽しみに興じる幸子たち。初めて読んだとき、わたしは彼らに共感することが出来なかったのに、今読めば、何だか、うらやましいような頼もしいような気持がするのだった。

(つづく) 

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